実践1

人間が自分たちのことをほかの種よりも優れていると考えるのは,おこがましい【高慢な]ことかもしれない。いったいどうして我々は,飛ぶことができる鳥や,天井につかまって美しい巣を作ることができるクモ,環境を損なうことなくその中で暮らす多くの種より優れていると感じるのだろうか。しかし,このような余談がささいなことか深遠なことかは判断せず,それらを論じるのはいったんやめて、控えめに,人間が所有する能力の中でほかの種にははっきりとは見られないもの[能力】を特定しようと(努力)しなければならない.

実践2

私が子どものころ,子どもは我を抑えるようにならなければいけないという趣旨の会話を大人がよくしていた。それは私がひどく嫌いになったことばであった.というのも「我を抑える」ことによって(私は),私がやりたくなく,おまけにそれをやったところで目に見える見返りなど何もないことを,結局は必ずやることになったからだ。そういえば[今思い出すと],唯一いいことといえば,(それを実行することで)「人」が私に好感をもってくれるというかすかな望みがあることだったが,その一方で,もし私が自然な気持ちのままにふるまえば,「人」がそのような傾向をもつことなどきわめて疑わしかった.

実践3

どうしてモナリザは世界中で最も有名な絵画なのだろうか.彼女の輪郭でも目でも,ひょっとすると手だけでもいいが,彼女の容貌の一部でもちらっと見るだけで,絵にまったく興味も情熱ももたない人でさえ,すぐにそれがモナリザだとわかる。広告における商業的利用は,ほかのどの芸術作品の利用をもはるかにしのいでいる(一広告において商業利用されている芸術作品で,モナリザに匹敵するものはまったくない)芸術作品の中には,作られて何世紀も経過しているのにいまだに愛され楽しまれているという意味で,普遍的に思えるものもあるそうした作品は,見てすぐそれとわかる人が世界中に何百万人もいる。そうした作品が語りかけるのは、自らが生まれた時代ー(その当時は)そうした作品が元々対象としていた観衆は比較的少なかったがーだけではなく,その作品が生まれた世界を越えた世界、その作显よりあとの世代、(将来)出現するだろうとはその創作者が思ってもみなかった国際的な通信網によって結びつけられた大衆社会なのである.